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ナッジ理論で研修を定着させる|EAST 4原則で設計する研修後フォローの実践ガイド

ナッジ理論とは、選択肢を禁止したり報酬を大きく変えたりせずに、環境や情報の出し方を少し変えることで人の行動を予測できる方向へ促す考え方です。行動経済学者リチャード・セイラーが体系化し、公共政策やマーケティングで広く使われてきましたが、人材育成で最も効果を発揮する場面は「研修後の職場実践」です。研修で学んだことを現場で使ってほしいのに、リマインドメールを送っても反応が薄い。上司にフォローを頼んでも続かない。この記事では、そうした研修後フォローの行き詰まりを、行動科学のEASTフレームワーク(Easy・Attractive・Social・Timely)で設計し直す方法を、海外の実証データとアイディア社の設計例を交えて解説します。

出発点として、人材育成の一般的な流れを確認しておきます。研修を実施し、受講者が内容を習得し、職場で行動が変わり、その結果として成果が出る。この4段階のうち、人事担当者の関心と工数は圧倒的に前半の2段階に集中しがちです。ところが人材育成ワールドトレンド報告会2020で紹介された行動科学の視点では、工夫次第で3段階目の「行動変容」から直接スタートすることも可能だとされています。理由は単純で、人の行動の大部分は意識的な判断ではなく無意識の習慣だからです。習慣は「きっかけ」「魅力」「既にある習慣への接続」から生まれるため、研修後フォローも「思い出させる」のではなく「行動のきっかけをつくる」ものとして設計できます。

人材育成の4段階と、ナッジが介入する位置

STEP 1

研修

講義・演習・ロールプレイ

STEP 2

習得

知識・スキルが身につく

STEP 3

行動変容

職場で実際に使う = ナッジが効く位置

STEP 4

成果

業務指標が動く

出典:人材育成ワールドトレンド報告会2020「行動変容の簡単なコツ」をもとに作成

この図が示すのは、研修後フォローの設計対象が第2段階(覚えているか)ではなく第3段階(使うか)だということです。人事担当者が「内容を忘れないように」とリマインドを送るとき、狙っているのは第2段階の維持です。しかし受講者が動かない原因の多くは忘却ではなく、使う場面で行動を選ばないことにあります。ナッジ理論はこの第3段階に直接働きかける手法であり、EASTフレームワークはその設計を4つの原則に整理したものです。まずは、なぜ従来型のフォローが動かないのかを数字で確認します。

なぜ「思い出させるフォロー」は動かないのか

多くの企業の研修後フォローは、受講者の「意志」と上司の「善意」に依存しています。研修終了時にアクションプランを書いてもらい、1カ月後にリマインドメールを送り、上司には「フォローをお願いします」と伝える。この設計が動かないのは、担当者の努力不足ではなく、前提となる環境の側に構造的な制約があるからです。人材育成ワールドトレンド報告会2020で共有されたAccentureの受講者ジャーニー調査は、その制約を3つの数字で示しています。

45%
上司は部下の学習に時間を割きたがらない
7%
振り返りの時間を確保している組織
53%
研修後に上司の支援を受けられた受講者

読者の立場で読み替えると、この3つの数字は「意志に頼るフォローは半分しか届かない」という現実を意味します。上司の半数近くは部下の学習に時間を使うことに消極的で、振り返る時間を組織として用意している会社は1割にも満たず、研修後に上司の支援を受けられた受講者はおよそ半分にとどまります。つまり、リマインドメールを受け取った受講者が「やろう」と思ったとしても、その意志を行動に変える時間・場・支援が職場に存在しない確率のほうが高いのです。ここで努力を積み増しても、届く範囲は変わりません。

ATD2021でスイスのLead1ng AG社が紹介したナッジ研究は、この状態を「やりたいのに、やらない(We want to, but we don't)」という行動の異常として定義しています。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの理論では、人は判断のたびに速くて楽な経路を選び、一部の情報だけで結論を出します。リチャード・セイラーはさらに、その判断が環境から受ける刺激で決まることを示しました。研修後の受講者も同じです。「使ったほうが良い」と分かっていても、目の前の業務という速くて楽な経路が常に用意されている以上、意志だけで新しい行動を選び続けることは期待できません。

だからこそ、フォローの設計対象を「受講者の意志」から「行動が選ばれやすい環境」へ移す必要があります。次のセクションでは、その環境設計を4つの原則に整理したEASTフレームワークを、研修後フォローに翻訳して説明します。

EAST 4原則とは|行動経済学のフレームを研修フォローに翻訳する

EASTフレームワークは、英国政府の行動科学チーム(Behavioural Insights Team)が公共政策でのナッジ設計を整理したもので、行動を促したいときに押さえるべき4つの条件の頭文字です。Easy(簡単にする)、Attractive(魅力的にする)、Social(社会的にする)、Timely(タイムリーにする)。人材育成ワールドトレンド報告会2020では、この4原則を「行動を変える簡単なきっかけづくりのポイント」として紹介し、公共政策や小売の事例から、行動が変わった実証データを整理しました。研修後フォローに当てはめる前に、まず4原則それぞれが「何を変える原則なのか」を、元になった実証事例と一緒に押さえておきます。

E

Easy(簡単)|担当する障壁:面倒くさい

望ましい行動をデフォルトにする、手間を減らす、シンプルに伝える。逆に望ましくない行動は手間を増やす。

実証:臓器提供の意思表示を「選択制」から「デフォルト」に変えた国は提供率が大きく上回った。手術前の安全チェックリスト徹底でミスが30%減。

A

Attractive(魅力的)|担当する障壁:気づかない・興味がない

注意を引く、特典を付ける、比較対象(アンカー)を置いて選ばせる。

実証:男性用小便器にハエの絵を入れただけで汚れが80%減、清掃費用も8%減。バスの地図と時刻表を個別配布し週200ドルのギフト券を付けた州では一人運転の車が16%減。

S

Social(社会的)|担当する障壁:自分だけ浮きたくない

「みんなやっている」と常識化する、周囲の影響力を使う、他人に宣言させる。

実証:督促状に「住民の9割は納税済み」と書いただけで徴税が15%増。買い物カートをテープで仕切り「前半は野菜と果物専用」と張り紙したスーパーで野菜と果物の売上が102%増。

T

Timely(タイムリー)|担当する障壁:今じゃなくてもいい

行動を選びやすい瞬間に届ける、目の前の損得を見せる、最初の一歩を小さく切り出す。

実証:自動車保険の更新時に臓器提供の意思を選ばせた州では、1年で提供者が10万人増。社員食堂の「本日の野菜」キャンペーンで野菜消費が74%増。

出典:人材育成ワールドトレンド報告会2020「行動変容の簡単なコツ E.A.S.T.」の事例をもとに作成

読者が押さえるべき点は、4原則が「順番にやる手順」ではなく「それぞれ別の障壁を担当する並列の条件」だということです。研修後に受講者が動かない理由は一つではありません。アクションプランの実行が面倒(Easyの問題)、フォローメールが目に入らない(Attractiveの問題)、周りが誰もやっていないので自分だけ動きにくい(Socialの問題)、今やる必然性がない(Timelyの問題)。これらは別々の障壁なので、リマインドの回数を増やしても、Easyの問題は解決しません。自社のフォローがどの原則を満たし、どの原則が抜けているかを診断すること自体が、設計の第一歩になります。

もう一つ重要なのは、事例の多くが「行動する人の意識を変えていない」ことです。臓器提供のデフォルト化も、納税率9割の一文も、対象者の考えを説得したわけではなく、選択の場面に置かれた条件を変えただけです。ATD2023でAmway社のTina Dooley氏が「ナッジの目的は意識ではなく行動」と述べたのはこの意味で、意識を高めようとすると却って行動確率が下がる場面すらあります。ナッジの定義や、行動を促すリマインダーの4要素については、ATD2023報告会レポートの記事で詳しく整理していますので、本記事では「4原則を研修後フォローにどう翻訳するか」に絞って進めます。

ここからは、E・A・S・Tの順に、研修後フォローの具体的な設計へ落とし込みます。各セクションでは、人材育成ワールドトレンド報告会2020で紹介されたラーニングトランスファー研究の知見と、アイディア社が実際の研修設計で使っている打ち手を対応させて示します。

Easy:やらない理由を消す

Easyの原則が担当するのは「やろうと思えばできるが、面倒なのでやらない」という障壁です。研修後フォローで最も多いつまずきはここにあります。研修終了時に「職場で実践してください」と伝えても、実践するためには自分で場面を選び、時間を確保し、上司に説明しなければなりません。この一つひとつが小さな手間であり、手間が積み重なると、目の前の業務という「手間のかからない選択肢」が常に勝ちます。Easyの設計は、この手間を受講者の側から設計者の側へ移す作業だと言い換えられます。

人材育成ワールドトレンド報告会2020で紹介されたEasyの要点は3つでした。「デフォルトにする」(選択しなくても良いようにする)、「簡単にする」(時間とエネルギーをかけなくてもできるようにアレンジする)、「シンプルに伝える」(意識を保てるように分かりやすく伝える)。これを研修後フォローに翻訳すると、次のような対応になります。

意志に頼るフォロー

Easyで設計し直したフォロー

アクションプランは研修後に各自で提出

「1週間以内に提出してください」と依頼。提出率が下がり、催促の工数が発生する。

→ 研修時間内に作成・宣言まで終える(デフォルト化)

提出という選択をなくす。プランは「今すぐできる最初の一歩」まで小さく切り、「〇〇のとき、〇〇する」の定型文で書かせる。

上司に「フォローをお願いします」と依頼

上司は研修内容を知らず、何をすれば良いか分からない。意欲があっても時間がない。

→ 「15分で良いので」と負担を明示し、ツールを渡す(簡単にする)

研修内容の1枚サマリーと、面談で聞く3つの質問を用意する。上司は考えなくても実行できる。

eラーニングの理解度テストや課題でフォロー

受講者はやらない、やっても真剣にやらない。インプットの確認にしかならない。

→ 演習を数分で終わるサイズに分割し、即座に反応を返す(シンプルにする)

最初の1問を極端に易しくして勢いをつくり、回答直後にフィードバックを返す。すぐ使えるチェックリストを添える。

共通する原則:受講者や上司に「考える・選ぶ・準備する」手間を残さない。手間は設計者が先に引き受ける。

右列の打ち手は、いずれもラーニングトランスファー研究者Ina Weinbauer-Heidel氏が人材育成ワールドトレンド報告会2020で示した解決ヒントに基づいています。とくに「〇〇のとき、〇〇する」という定型文(英語圏では If…, then… や After I…, I will… と呼ばれます)は、実行の場面を先に決めておくことで「いつやるか」を判断する手間そのものを消す手法です。上司への「15分で良いので」という一言も同じ発想で、依頼の内容を変えたのではなく、上司が引き受けるコストの見積もりを下げています。

人事担当者の立場で見ると、Easyの設計は「フォローの回数を増やす」より先に取り組む価値があります。理由は、Easyが解決する障壁は受講者の意欲と無関係だからです。意欲の高い受講者でも、提出の手間や上司への説明の手間があれば行動は遅れます。逆に言えば、手間を消しておけば、意欲が平均的な受講者でも最初の一歩を踏み出せます。アイディア社の研修設計では、この考え方から、研修最終日のうちにアクションプランの作成と宣言を終え、上司向けの1枚サマリーを研修と同時に配布する形を標準にしています。上司の巻き込み方そのものの設計は、ブレンデッドラーニングの設計ガイドで9週間の設計図として整理しています。

Attractive:フォローが「開かれる」設計

Attractiveの原則が担当するのは「そもそも目に入らない、入っても興味を持たれない」という障壁です。研修後フォローの多くはメールで届きますが、受講者の受信箱には毎日数十通の業務メールが並んでいます。人事部からの「研修フォローのご案内」という件名は、その中で最も開かれにくい部類に入ります。Easyで手間を消しても、フォローそのものが認知されなければ行動は始まりません。人材育成ワールドトレンド報告会2020で示されたAttractiveの要点は「注意を引く」「特典を与える」「アンカー(比較対象)を使う」の3つで、公共事例では小便器のハエの絵が汚れを80%減らし、バス利用者への週200ドルのギフト券が一人運転を16%減らしました。

研修後フォローで「注意を引く」に相当するのは、差出人と冒頭の設計です。ATD2021で紹介されたFacebook社のeラーニング事例では、講師からの温かい歓迎映像を最初に置くことが受講者の関心を引くために有効だったと報告され、講師が受講者の投稿にコメントを入れるようにしたところ投稿数が5倍に増えました。人事部門からの一斉配信ではなく、研修で顔を合わせた講師の名前で、受講者の名前を呼びかける形で届く。それだけで「自分宛の連絡」として認知される確率が変わります。同社ではリマインダーを個別化したうえで自動配信する設定にしたことで、効果と効率を両立させています。

「特典を与える」は、金銭的な報酬を意味しません。Ina Weinbauer-Heidel氏の解決ヒントにある「修了書を研修修了時ではなく職場実施後に渡す」は、その好例です。多くの企業では研修最終日に修了書を渡しますが、それでは受講者に「研修が終わった=卒業」という意識が生まれ、職場で活かす動機が途切れます。修了の条件を職場実施に置き換えると、フォローに応じること自体が特典を得る行動になります。Facebook社が修了に700点という基準を設け、達成者に卒業証明を発行してゲーム性を持たせたのも同じ設計で、受講者の65%が基準点を超え、30%が最高点に到達しました。

「アンカーを使う」は、比較対象を置いて選ばせる手法です。ポップコーンの中サイズを置くと大サイズが割安に見える、という小売の事例が元になっていますが、研修フォローでは「自分の現在地」と「基準」を並べて見せることに相当します。ATD2023でAmway社が紹介した学習プラットフォームでは、進捗率を色分けして表示すること自体を望ましい行動へのナッジと位置づけていました。あと1回で修了、同期の中でここまで進んでいる、という比較対象が見えると、受講者は「やるかやらないか」ではなく「あと少しやるか」という判断に切り替わります。

人事担当者にとってのAttractiveの意味は、フォローの文面を磨く前に「誰から、どんな形で届くか」を設計することです。差出人を講師にする、修了の条件を職場実施に置く、進捗を見える形にする。いずれも配信の仕組みを一度変えれば継続する打ち手で、毎回の文面づくりに工数をかける方法より持続します。行動を促すリマインダーの4要素(親しみのある挨拶、If…Then表現、締切、参考資料)とAmway社の実装例は、ATD2023報告会レポートに実際のメール例とともに収録しています。

ナッジ効果のあるリマインダーの書き方4要素と、Amway社の実装例(実際のメール文面)は、ATD2023報告会レポート(全72ページ)に収録しています。研修後フォローの文面を見直す際の参考にしてください。

▶ ATD2023 報告会レポートを無料でダウンロードする

Social:「みんなやっている」を可視化する

Socialの原則が担当するのは「自分だけが動くと浮いてしまう」という障壁です。研修を受けた本人は使ってみたいと思っていても、職場に戻ると研修を受けていない同僚に囲まれます。新しいやり方を試せば説明が必要になり、周囲の反応も読めません。人材育成ワールドトレンド報告会2020で紹介されたSocialの要点は「常識だと思わせる」「集団力を使う」「宣言させる」の3つで、督促状に「住民の9割は納税済み」と一文を加えただけで徴税が15%増えた事例が示すように、人は「周りがやっているか」を行動の基準にします。

研修後フォローにこの原則を持ち込む最も直接的な方法は、フォローの中で「他の受講者の実践状況」を見せることです。「1カ月後の実践報告で、同期の8割がすでに1回以上試しています」という一文は、リマインドとしてではなく常識の提示として機能します。Ina Weinbauer-Heidel氏の解決ヒントには、同じチームから複数名を受講させる、同僚向けに研修内容の簡単なサマリーを配る、受講者が同僚に研修内容を教える、という3つの打ち手が挙げられており、いずれも「職場に理解者をつくる」ことで一人で動く心理的コストを下げています。研修中にアクションプランを他の受講者の前で宣言させるのも、宣言した相手がいることで行動の約束が個人の意志から関係性の中の約束に変わるためです。

Socialを組織の仕組みに組み込んだ例として、ATD2021でスイスのLead1ng AG社が共有した、ある企業の製品部門における企業理念の定着事例を紹介します。理念研修は典型的な「受けた直後は納得するが行動が変わらない」テーマですが、この部門ではナッジを毎週の習慣と毎月の経営会議に接続する設計で運用しました。

CASE STUDY:製品部門の企業理念定着 ― 週1回のナッジを経営会議につなぐ(ATD2021・Lead1ng AG)

BEFORE

部門の8つの価値観を策定しキックオフで共有したが、日常業務の中で価値観を意識する場面がなく、浸透度を測る手段も、経営層が議論する場もなかった。

AFTER

全員が毎週数秒で価値観を振り返り、各チームの「Values Scorecard」が毎月の経営会議の定例議題になった。浸透度の差が可視化され、原因分析と翌月の打ち手が会議で決まる運用が定着した。

やったこと ― 個人の習慣を組織の会議に接続する3ステップ

STEP 1

土台をつくる

価値観8項目を部門全員で共同策定。価値観ごとに役員1名をスポンサーに置き、変革推進者がキックオフで発信

STEP 2

週1回のミニナッジ

PCかスマホに毎週2つの価値観について2問(自分の行動は?周囲をどう見る?)。4週で8項目を一巡

STEP 3

月次で経営会議へ

回答をチーム別のValues Scorecardに集約し、部門リーダー会議で毎月討議。原因分析と翌月のアクションを決定

ポイント:ナッジは個人に送って終わりではなく、集計結果を「上位者が見て議論する場」に接続したとき、部門全体の常識になる。

この事例が人事担当者に示しているのは、Socialの設計には2つの層があるということです。1つ目は受講者同士の層で、同期の実践状況を見せる、チームで受講させる、宣言させるといった打ち手が該当します。2つ目は上位者の層で、受講者の実践状況が上司や経営層の目に触れる仕組みをつくることです。週1回の2問アンケートは、受講者にとっては数秒のナッジにすぎませんが、それが毎月経営会議で議題になると分かった時点で、答える行動そのものに「見られている」という社会的な意味が加わります。ATD2021の講演者Guido Betz氏がナッジの条件として「選択の自由を残し、完全に透明であること」を強調していたのはこの文脈で、監視ではなく、部門全体で取り組んでいることを可視化する設計だからこそ機能します。

アイディア社の研修設計では、この2層の考え方を「シリーズ研修の中間セッション」と「上司・経営者への成果発表」という形で標準化しています。中間セッションでは受講者が互いの職場実施を共有し、実施していない受講者には自然な圧力が、実施した受講者には成功例を真似される機会が生まれます。研修の最後に上司と経営者へ成果を発表する場を置くことで、職場実施が個人の努力ではなく組織に報告される活動へ変わります。中間セッションと成果発表を含む9週間の設計図は、ブレンデッドラーニングの設計ガイドで解説しています。

Timely:いつ届くかが、内容より効く

Timelyの原則が担当するのは「今でなくてもいい」という障壁です。研修で学んだ行動を使える場面は限られています。部下との1on1、顧客との商談、会議での発言。その場面が来ていないときにリマインドが届いても、受講者は「あとで」と判断し、そのまま忘れます。人材育成ワールドトレンド報告会2020で示されたTimelyの要点は「タイミング」「目の前の損得」「最初の一歩」の3つで、自動車保険の更新手続きの中で臓器提供の意思を選ばせた州では1年で提供者が10万人増えました。同じ内容を別の時期に尋ねても、この数字にはなりません。

研修後フォローに最も直接関係する実証は、同じ報告会で紹介された次の事例です。マネージャーに、部下を承認するための簡単な表現集を、定例会議の直前に送る。それだけで22〜40%の行動変容が確認されました。送ったものは高度な教材ではなく、数行の言い回しです。効いたのは内容ではなく、「これから部下と会う」という瞬間に届いたことです。研修後フォローを設計するときに問うべきは「何を送るか」より先に「受講者が行動を選べる瞬間はいつか」であり、その瞬間を職場のカレンダーの中に見つける作業がTimelyの設計です。

研修後フォローの「届ける瞬間」を時間軸に置く

研修最終日

「〇〇のとき、〇〇する」の定型文で、使う場面と最初の一歩を受講者自身に決めさせる。

1週間以内

上司との15分面談。研修の記憶が残るうちに、職場で試す場面と上司の関わり方を確認する。

使う場面の直前

定例会議・1on1・商談の直前に、その場で使う表現集やチェックリストを届ける。22〜40%の行動変容が出た位置。

1〜3カ月目

月1回、クイズ型のリマインダーと活用アンケートを交互に配信。朝6〜8時か16時以降、メールよりチャットで。

この時間軸で読者に注目してほしいのは、4つの「届ける瞬間」が役割を分担していることです。研修最終日の定型文は場面を予約し、1週間以内の上司面談は環境を整え、使う場面の直前の配信は行動そのものを引き起こし、月次の配信は忘却を止めます。従来のフォローがうまくいかないのは、この4つのうち「1カ月後のリマインド」だけを実施しているケースが多いからです。忘却を止める施策だけでは、行動を引き起こす瞬間が設計されていません。

「使う場面の直前」を設計するには、研修の前に受講者の職場カレンダーを把握しておく必要があります。人材育成ワールドトレンド報告会2020でアイディア社代表のJason Durkeeが紹介した異文化コミュニケーション研修の定着設計では、研修前のアンケートで「研修内容を使えそうな場面」を受講者に挙げてもらい、研修中はその場面に合わせた例を示し、研修後3カ月はクイズ型リマインダーと活用アンケートを月ごとに交互に送る形をとっています。使う場面を先に聞いておくからこそ、その直前に届けることができます。

配信のチャネルと時刻についても実測データがあります。ラーニングジャーニープラットフォームを提供するActionable社が、1,452社・84,903名が受講した6,814回の研修データを分析したところ、リマインダーはメールよりもSMSやTeams、Slackなどのチャットで送ったほうが10%強高い成果につながり、行動変容に最も影響する時間帯は朝6〜8時と16時以降でした。理由は、研修で学んだ行動はコア業務から少し離れていることが多く、コア業務以外に時間を使える余裕がある時間帯のほうが受け入れられやすいためです。同じ分析では、受講者数が多い研修ほど行動変容の確率が下がることも示されており、大人数研修ほどTimelyな配信の設計が必要になります。

人事担当者の実務に置き換えると、Timelyの設計は配信ツールの設定変更で実現できる部分が大きい原則です。上司面談を研修1週間後に予約しておく、定例会議の曜日に合わせて配信日を固定する、配信時刻を始業前に設定する、メールではなく社内チャットで送る。いずれも一度決めれば繰り返し機能し、受講者ごとの個別対応を必要としません。「何を送るか」を磨く前に「いつ、どこに届くか」を職場の時間割に合わせて固定することが、Timelyの実装です。

研修の種類別:EASTをどう組み合わせるか

4つの原則を個別に見てきましたが、実務では「どの原則をどれだけ使うか」が研修の種類によって変わります。人材育成ワールドトレンド報告会2020でアイディア社代表のJason DurkeeがPractical Training TransferのIan Townley氏と共同で示した「定着の問題と解決法の一覧」は、定着を妨げる問題を状況・知識・習慣・認識・準備の5カテゴリに分け、それぞれに対応する解決策を対応表にしたものです。この一覧から導かれた結論は、「一つの解決法はオールマイティーではなく、研修内容と問題によって必要な対応が異なり、組み合わせが必要」ということでした。EASTの4原則も同じで、すべてを均等に使う必要はありません。研修の種類ごとに、最も重い障壁を担当する原則から優先します。

1

知識系の研修(コンプライアンス、製品知識、異文化理解など)

主な障壁:内容を忘れる/知識をどの場面で使えば良いか分からない

効く原則:Easy+Timely 研修前アンケートで使う場面を先に挙げてもらい、研修中にアクションプランへ落とす。研修後は月1回、数分で終わるクイズ型リマインダーと活用アンケートを交互に配信し、その場で使えるジョブエイドを添える。

2

スキル系の研修(プレゼンテーション、交渉、コーチングなど)

主な障壁:職場で使えるほど身についていない/使う機会がない

効く原則:Social+Timely 研修前後に上司との30分面談を組み込み、実際の業務で使う機会を上司につくってもらう。周囲からフィードバックをもらうためのチェックシートを配り、使う場面の直前にチェックリストを届ける。反復演習を月ごとに設定する。

3

マインド系の研修(イノベーション、主体性、リーダーシップなど)

主な障壁:失敗を恐れて踏み出さない/途中であきらめる(障壁は1つだが最も重い)

効く原則:Social+Attractive 小さくても良いから必ず実行する約束を研修中に宣言させ、小さな成功体験を次回セッションで全員に共有する。コーチングで個別に伴走し、研修を数回のシリーズにして上司への成果発表で締める。成功例の共有そのものが次の行動の特典になる。

4

将来に備える研修(英語、次世代リーダー、海外赴任前など)

主な障壁:業務で使う機会が当面ない/使う前にスキルが失われる

効く原則:Easy+Attractive 業務以外で使う機会や、内容の一部だけでも業務で試す機会を提案する。間隔を空けた反復練習を月次で設定し、月次レポートで進捗を見える化する。使わなくても維持できる仕組みを先に用意する。

出典:人材育成ワールドトレンド報告会2020「研修の種類別定着ヒント」(Ian Townley・Jason Durkee)およびATD2021報告会「定着フォローのテンプレート」をもとに作成

読者が自社の研修に当てはめるときの見方は、まず「この研修の受講者が動かない主な理由は何か」を4つの障壁から一つ選び、次に対応する原則を主軸にすることです。知識系の研修にSocialの仕掛けを厚く入れても、忘却という主な障壁には効きません。逆にマインド系の研修でクイズ型リマインダーを送っても、失敗への恐れは消えません。ATD2021でJason Durkeeが指摘したように、マインド系の定着課題は「失敗を恐れる」の一つしかありませんが、その一つが最も重く、リマインダーではなく小さな成功体験と伴走が必要になります。

組み合わせを設計するうえで、もう一つ押さえておきたいのは工数との関係です。人材育成ワールドトレンド報告会2020で紹介されたLever-Transfer of Learning社の整理では、定着の取り組みは「手間」と「ITの活用」の2軸で4つに分かれます。手間もITもなければ定着はなく、ITなしで手間をかければ定着はするが担当者が疲弊し、ITがあって手間がなければ定着の支援になり、ITを使ってしっかりフォローするのが理想です。EASTの打ち手のうち、Easyの定型文やTimelyの配信設定はITで自動化しやすく、Socialの中間セッションやマインド系のコーチングは人の手間が残ります。自動化できる原則で工数を浮かせ、人の手間が必要な原則に集中させるのが、現実的な組み合わせ方です。

マインド系の研修を「研修5日間+職場実践4カ月」のシリーズで設計し、職場実施と成果発表まで含めて効果を測った事例を公開しています。自社の研修にEASTの組み合わせを当てはめる際の参考にしてください。

▶ 実践型イノベーション研修5日間の効果測定事例を読む▶ 自社の研修フォロー設計を相談する

自社の研修後フォローをEASTで診断する

ここまでの内容を自社に当てはめるために、現在の研修後フォローを4原則で採点してみてください。設問は各原則2つ、合計8問です。「はい」と答えられる項目を1点として数えます。判定の目的は点数そのものではなく、「どの原則が抜けているか」を特定することにあります。点数が低い原則が、受講者が動かない主な障壁を放置している箇所です。

研修後フォローのEAST診断(8問・各1点)

EASY

1. アクションプランは研修時間内に「〇〇のとき、〇〇する」の形で完成し、提出の手間が残っていない
2. 上司には研修内容の1枚サマリーと面談の質問例を渡し、「15分で良い」と所要時間を伝えている

ATTRACTIVE

3. フォローの連絡は人事部の一斉配信ではなく、講師や上司の名前で、受講者個人に宛てて届く
4. 修了書や修了の認定は、研修終了時ではなく職場での実践後に渡している

SOCIAL

5. 受講者は研修中に他の受講者の前でアクションプランを宣言し、研修後に互いの実践状況を知る機会がある
6. 受講者の実践状況は集計され、上司や経営層が目にする場(会議・成果発表)に接続されている

TIMELY

7. 研修後1週間以内の上司面談が、研修の申込時点で予定に組み込まれている
8. フォローの配信は「受講者が使う場面の直前」または「始業前・16時以降」に固定され、メール以外のチャネルも使っている

合計点の見方

0–2点:意志に依存
3–5点:原則に偏り
6–8点:環境が設計済み

読み取り方は3段階で異なります。0〜2点の場合、フォローは受講者の意志と上司の善意に依存しており、第1章で見た「上司の45%が時間を割かず、振り返りの時間を確保する組織は7%」という環境の制約をそのまま受けています。この段階では、Easyの2問から着手するのが最も工数が少なく効果が出ます。研修時間内にアクションプランを定型文で完成させ、上司向けの1枚サマリーを配るだけで、受講者と上司の「考える手間」が消えます。

3〜5点の場合、いずれかの原則に打ち手が偏っています。多いのは、Timelyの月次リマインドとEasyのアクションプランは整っているが、SocialとAttractiveが空白というパターンです。この場合、受講者は行動を「思い出して」はいるものの、一人で動く心理的コストと、フォローを開く動機の弱さが残っています。0点の原則を一つ選び、その原則の2問のうち仕組みで実現しやすいほう(差出人を講師にする、実践状況を経営会議で共有する等)から補います。

6〜8点の場合、行動が選ばれやすい環境はすでに設計されています。次の課題は、その環境の効果を測ることです。フォローが機能しているかは、受講者の満足度ではなく、職場での行動変容と業務指標で確認する必要があります。行動変容をどのレベルまで測るか、測定モデルをどう選ぶかは、研修効果測定モデルの比較記事で整理しています。また、フォロー設計を含む研修全体の工程は研修設計の完全ガイドで4工程として解説しています。

診断で0点だった原則について、自社の研修に合わせた具体的な打ち手を一緒に設計します。現行の研修後フォローの内容をお知らせいただければ、EASTのどこから着手すべきかを整理してご提案します。

▶ 研修後フォローの設計について相談する▶ フォローコーチング20分で定着を支えた事例を読む

よくある質問(Q&A)

Q1. ナッジは受講者を操作することにならないのですか?

選択の自由を残し、仕組みを隠さなければ操作にはなりません。ATD2021でナッジの研修応用を講演したGuido Betz氏は、ナッジの条件として「選択の自由を完全に保つこと」と「完全に透明であること」の2点を挙げています。研修後フォローで言えば、受講者に「実践しない」という選択肢を残したうえで、実践しやすい環境を用意することがナッジであり、実践を義務化したり、集計を本人に知らせずに評価に使ったりするのはナッジではありません。Socialの設計で実践状況を経営会議に接続する場合も、その仕組みを受講者に事前に説明しておくことが前提です。

Q2. リマインダーは何回、どのくらいの頻度で送るのが適切ですか?

回数より「届く瞬間」と「1回あたりの負担」で決めます。ATD2021で紹介された企業理念定着の事例では週1回、2問で数秒で終わる形式を採り、アイディア社の異文化研修の設計では月1回、クイズ型リマインダーと活用アンケートを交互に3カ月配信しています。頻度が高くても1回が数秒で終わり、受講者が使う場面の直前に届くなら負担にはなりません。逆に、内容が長く、使う場面と関係のないタイミングで届くリマインダーは、回数が少なくても開かれなくなります。Actionable社の分析では、配信はメールよりチャット、時刻は朝6〜8時か16時以降が効果的でした。

Q3. 上司を巻き込めない場合、EASTのどこから始めれば良いですか?

上司の関与を前提にしないEasyとTimelyの打ち手から始めます。研修時間内にアクションプランを「〇〇のとき、〇〇する」の定型文で完成させること、フォローの配信を受講者が使う場面の直前や始業前に固定することは、上司の協力がなくても人事部門だけで実装できます。そのうえで、上司への依頼を「15分で良い」「質問は3つ」と負担を明示した形に変えると、巻き込みの成功率が上がります。上司を巻き込む設計そのものについては、ブレンデッドラーニングの設計ガイドの「上司の巻き込み」の項で解説しています。

Q4. eラーニングやオンデマンド研修でもEASTは使えますか?

使えます。むしろ講師や同期との接点が少ないeラーニングこそ、環境の設計が効果を左右します。人材育成ワールドトレンド報告会2020で示された解決ヒントは、演習を数分で終わるサイズに分割する(Easy)、最初の1問を易しくして勢いをつくる(Timely)、回答直後にフィードバックを返す(Attractive)の3つでした。ATD2021で紹介されたFacebook社の事例では、講師の歓迎映像と受講者同士の掲示板を置くことで、オンデマンド形式でも受講者の100%がコメントを投稿し、95%が修了基準に到達しています。

研修後フォローを「意志」ではなく「環境」で設計する

アイディア社では、EASTの4原則を組み込んだ定着フォローを、研修の企画段階から設計しています。現行のフォローで受講者が動かない原因の診断から、研修の種類に合わせた打ち手の組み合わせまで、貴社の状況に合わせてご提案します。ナッジ理論の研修応用事例は、ATD2023報告会レポートにも収録しています。

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